突き抜けると急にいろんな伝えたいことが頭に閃いてくる。
あ、どうもこんばんは。
人には得意なこと、不得意なことがかならず有る。
歩くスピードも歩幅もちがう。
義務教育はその個人個人のペースの違いを考慮しないことに違和感を感じたことはなかっただろうか?
「こんなタラタラやってられるか」ということもあれば「少しつまづいたら一気にその後大崩れ」
なんてことはなかっただろうか。
家庭環境次第で身体のできあがり方にも差はある。衣食住に恵まれた家庭、恵まれなかった家庭、それぞれの意識の問題と片づけられるかもしれないが、小中高における家庭の影響は全てだと僕は思う。
ああ、そうペースの話。
勉強を理解する時間は違う。運動を習得するまでの時間も違う。
それは大人になると仕事の飲みこみの早さや、作業の早さといったことに置き換わる。
要領のいい人は飲みこみも早いし、体力や精神力がある人は作業も早い、的な。
プロのスポーツ選手は練習を強制されない。
それはそれぞれペースや練習量が異なるからであり、自分がベストのパフォーマンスを発揮できる塩梅を把握しているからである。
でも僕はプロスポーツ選手ではないので、それは仕事に置き換わる。
言ってしまえばサラリーマンはみんな仕事のプロ。でも日本の環境は少しおかしい。人間をプログラミングで動くロボットのようにしか思っていない人がとても増えている。
義務教育が終わってもシステムはほとんど変わらず、求められるペースはいずれかに存在している。ようはペースが強制されがちだということ。そのおかげでどれだけの人が心や身体を壊しているのかなって思う。僕はめっちゃ楽な環境だとは誰からも言われるけどね。
そして拍車をかけるのがこれ。細かい事気にしすぎ、納期大事にし過ぎ、お客さん尊重し過ぎっていうのが僕が思う日本人三大やりすぎ行為。
とりあえず何が言いたかったかっていうと、スケジュールを根詰めたところで、全ての人が最大のパフォーマンスを発揮できるわけではないよということ。
その人にあった休み方、仕事の詰め方はとっても大事だと思うんだけど、日本人はその辺をうまく調整するのが本当にヘタクソだよね。西暦2015年にもなって、人類の性格はそんなに変わってないのかな。良くも悪くも。
幸いなことに、今の自分には自分で環境を整えられる可能性を持っている。
「道具を含めて、レースをやる環境を作っていくのもドライバーの仕事や」-源 奈臣 capeta 6巻より
レースってのは人によっては仕事場に置き換えられるし、道具っていのは僕にとっては"お店"がそうだったりする。
自転車のレースだったらもちろん自転車が道具だし、環境っていうのは練習量だったりとか、逆に休息の質だったりとか。
僕のぐーたらな性格や短時間集中型な集中力は社会不適合といわれればそうであると自分でも思う。
だからといってそれを理由に投げ出したいとは思わない。
自分が出せる最大限のパフォーマンスを持って仕事と自転車レースに臨みたい。
4月からはムーブメントの営業時間を変えるが、自分のパフォーマンスを発揮するための第一歩を踏み出したということだ。
勤務時間は減らさずに勤務日数を減らすことが今のところの理想である。