2014年12月9日火曜日

仰げば尊し

連絡は突然で、頭の理解とは対照的に動揺は小さくなかった。
おばあちゃんが危篤との知らせであった。

溜まりまくった仕事、堀さんの体調不良もあったけれど、堀さんは快く送り出してくれたので気持ちに決心がついた。翌朝、すぐに静岡のおばあちゃんの元へと急いだ。
晩にお風呂に入っていると、ふと色んなことを思い出して涙があふれてしまった。
普段、映画や本を読んで泣くこともなく、どちらかといえば冷酷な部類の自分だけに驚きもあった。
電車に向かって歩いているとき、電車でふとした瞬間にもぶわっと泣きそうだった。
おばあちゃん。僕の人生を大きく支えてくれた一人に違いない人。
小学生の時に親の離婚もあって閉ざしかけた僕の心を、半分で止めてくれたのはおばあちゃんだと思う。それと同時に辛い時期を過ごしたのもおばあちゃんかも知れない。

一緒に住み始め、学校から帰ればおばあちゃんが居る生活。
僕らは学校に行っていたけど、その間は孤独な時間があったのだと思う。遠方から越してきたおばあちゃんが近所に知り合いがいるわけでもなく、気軽に遊びに出かけられるほどの体力があるわけでもなかったわけで。

一緒に生活しなくなった後で施設に入っていたそうだけれども、頻りに調子の悪さを訴えては人に構ってもらいたそうな様子が多かったそうだ。僕らと生活していた時期、その前の時期とか合わせても寂しい時間が多かったんじゃないかな。施設に入ってからその反動のように、自分の寂しさを爆発させていたのかも知れない。 
無事静岡について、親戚や家族と合流してとりあえず昼ごはんで久しぶりの再会。親戚とはもう8年ほど前に会ったのが最後で、時間の流れの早さの無常さを感じる。
気持ちが不安定で全然食欲が出なかったけれど、なんとか少しは食べておばあちゃんのもとへと車を出してもらった。

人の死は必然。今まで学んできたこと。遅かれ早かれ命があるものに終わりは来る。
やせ細り、言葉を喋ることもできなくなった姿は可哀想と呼ばれるものだった。
でも僕はそれが可哀想なことと言うのには違和感があって、重い病気もなく、老衰の末に今の状態になったのだから、人生を全うできた悪くない最後だと思う。

面会して、喋ろうと思ってたことも喋れずただボロボロと泣いてしまった。

亡くなる前に、まだ意識がある時に再会できた喜び。

言葉が出なくなっても、僕を僕だと認識してくれた喜び。

たくさんの嬉しいが込み上げた。
でも嬉しいだけで涙はそう出ない。

一緒に暮らしたときを思い返せば、わずかに5年ほどしかなかった。かなりの歳月を感じさせた時代だった。昔を思い出し、手を握りながらそれらを思い出していたりした。

僕と弟のことをわかってくれたおばあちゃんも嬉しかったのか、呼吸も普段より力強さを感じさせ、僕と同じようにおばあちゃんも少し涙を流していた。
18歳で最後に会った時に、「ごめんね、ごめんね」と何度も言っていた姿が印象的で、もしかしたら今回もそういう想いもあったのかもしれない。
でも、僕にとっては謝られることなど何もなく、むしろ感謝しかない。ありがとうと伝えたくて、泣きながら小さい声で何度かありがとうと伝えた。伝わってくれてたらいいな、と思う。

呼吸はしっかりしていて、肌も綺麗だったけれど、喋ることも食べることも水を飲むこともできなくなった状態には変わりなく、その状況は想像するだけで居た堪れなかった。
のどが渇いた辛さ、エネルギー不足で空腹に襲われている辛さは本当によく理解している。
空腹よりも乾きは地獄といっていい。
飲めず、食えずの状態であとは衰弱していくばかりの姿を見て、その辛さをどうにか軽減できないだろうかと悩むのだけど、全く思いつかない。

神様には、どうか辛さを和らげてあげて欲しいと願う他なかった。
おばあちゃん、まだ生きていますか。

寂しそうなおばあちゃんの傍にいてあげれない自分を許して下さい。

その生が途絶えてしまう時まで、ゆっくりと傍にいてあげたかった。

ごめん。そしてありがとう。

どうかなるべく苦しまず、安らかに最後の時を過ごして眠って欲しい。

本当にありがとう。 
そしておばあちゃんへの感謝をもうひとつ。

良い機会と呼ぶには程遠い機会ではあったけれど、10余年ぶりに家族全員で集まることができました。家族4人で食事をする機会を願いながらも、もう無いかもしれないと思っていたから、嬉しさで泣きそうだった。書いてる今も泣きそうだ。

そして親戚の従姉妹とも5人全員で集まることができた。この5人が集まったのは本当にいつが最後だったかも思い出せない。小学生か、中学1年かその辺り。
変わったような、変わらないような、昔話に花を咲かせながらその貴重な一時を過ごすことができて本当によかった。

そこにおばあちゃんの姿が無いことが残念だけど、僕の心に刺さった棘がひとつ抜けたような気がしたよ。
新しい風が僕たちに吹いたようにも感じる。
ありがとう、本当に。
ヒトの子の生に限りはあれど、命は永遠なり。

おばあちゃん、先に天国で楽しんで待ってて下さい。

何十年先かわからないけれど、僕の生が終わった時にまた再会できるのを楽しみにしています。

安らかに。



-追記-
9日、4時20分頃に呼吸停止との連絡があった。
おやすみなさい。

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